【TJ調査隊】上越市のボウリング場第1号は? 6月22日は「ボウリングの日」

今日6月22日は「ボウリングの日」。『今日は何の日』(PHP研究所)によると、江戸時代の1861年(文久元年)、外国人居住地だった長崎・出島の英字新聞がインターナショナルボウリングセンターの開設を報じた日にちなみ、日本ボウリング場協会が制定した。日本人向けの第1号は1952年(昭和27年)、東京・青山に開業した「東京ボーリングセンター」だという。1970年代には、須田開代子や中山律子などのスタープロが活躍。大ブームとなり、子供から高齢者まで広い層から爆発的な人気を得て、全国にボウリング場が乱立した。調べてみると、新潟県上越市の第1号は、意外な場所にあった……。
1970年代に大ブームとなったボウリング(イメージ)

「高田中央ボウル」は1972年オープン

ブーム最盛期の1970年代、上越市で多くの人が通ったボウリング場といえば「高田中央ボウル」が知られる。
仲町2で映画館「中劇」と「東映」を運営していた金子興行が1972年(昭和47年)に改築の際、高田中劇会館2階に14レーンのボウリング場を開設した。長年愛された高田中央ボウルは2006年(平成18年)9月30日に閉場した。
閉場後の高田中央ボウル(2階)。左側にピンのオブジェが見える(2012年8月21日撮影)

上越初のボウリング場は「高田サンライトボール」

田んぼの真ん中にできた「高田サンライトボール」。左側(西)に北堀、左下に高田北城高校がある(中央出版社「高田市住宅明細図」1967年版より)

だが、上越で最初にできたボウリング場は高田中央ボウルではない。

 

高田図書館が所蔵している1967年(昭和42年)発行の『高田市住宅明細図』(中央出版社)を調べると、北城町4に「高田サンライトボール」というボウリング場が確認できる。

↓「高田サンライトボール」「旧ナルス北城店」があった場所

近隣に住む男性(66)は、「小学生の頃、田んぼの真ん中に突然、ボウリング場ができた。かまぼこ形の建物で、大きなボウリングピン(オブジェ)が立っていた」と話す。高田中央ボウルより、5年以上前に開業していたことになる。

「高田サンライトボール」跡は旧ナルス北城店に

「高田サンライトボール」のかまぼこ型の建物を利用して出店した旧「ナルス北城店」(1999年2月10日撮影)
「高田サンライトボール」がいつ閉店したか不明だが、かまぼこ形の建物をそのまま利用し、スーパーのナルスが「北城店」として出店した。
その後、駐車場不足や違法駐車が問題になり、1999年(平成11年)に頸城自動車が高田営業所(北城町3)を石橋に統合したことに伴い、跡地(北城町3)へ店舗を移転した。

「直江津ミナミボウル」は2002年に閉店

直江津地区では、開店時期は不明だが、石橋2で「直江津ミナミボウル」が営業していた。
1998年(平成10年)3月には、今も唯一営業を続ける「上越レジャーランボウル」が下門前の国道8号沿いに開店した。
直江津ミナミボウルは2002年(平成14年)6月30日に閉店し、跡地は「直江津セレモニーホールへいあん」になっている。

旧新井市や旧中郷村にもボウリング場

旧新井市(現妙高市)では、諏訪町の国道18号沿いに「新井ミナミボウル」が営業していた。ボウリングブームが終わる頃に営業を始めたこともあり、数年間営業しただけで閉店した。

 

旧中郷村(現上越市中郷区)の松ヶ峯遊園(現妙高サンシャインランド)には「妙高ボウル」があった。『上越・糸魚川・妙高の昭和』(いき出版)によると、「妙高ボウル」は昭和40年代に営業していたという。当時を知る人によると、ボウリング場があったのは昭和40年代後半から50年代前半ではないかという。

マイシューズ、マイボウルでプレー

ボウリング最盛期に、毎日のように各地のボウリング場に通い詰めたという妙高市の自営業男性(73)は、「夜はゲーム代が高いので、平日の昼間に通った。マイシューズ、マイボウルを買って、連日10ゲームほど投げた」と当時を懐かしんでいた。

マイボウルとマイシューズを持ってボウリング場通いをする人も多かった

上越のボウリング場については、市史などに記録がなく、不明な点が多く残っています。開設時期などをご存知の方、外観や内部の写真をお持ちの方はメールでお知らせください。匿名でも結構です。mail:info@joetsutj.com

記事参照元:上越タウンジャーナル

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