【TJ調査隊】旧直江津銀行のライオン像の試作品か 制作した石工小川由廣の地元柏崎で発見
新潟県上越市中央3の市指定文化財「ライオン像のある館」(旧直江津銀行)に立つライオン像の試作品とみられる彫刻作品が2024年6月、柏崎市の個人宅で見つかった。同館のライオン像は、大正から昭和にかけて活躍した柏崎の石工、小川由廣(よしひろ、1880〜1955)が制作しており、直江津だけでなく柏崎市内には大小10体の由廣の手によるライオン像が残されている。
ライオンの足の置き方が直江津と同じ
「ライオンの足の置き方が直江津のライオン像と同じなんですよ」と話すのは、5年前から由廣の作品を追い続け、今年1月にガイド本を出版した柏崎市のエッセイスト春口敏栄(としえ)さん(63)。試作品とみられるライオン像は、海に近い高台にある個人宅の玄関脇に来客を迎えるかのように鎮座していた。
大きさは高さ約50cm、長さ約90cmで、ライオン像のある館の像の3分の1ほどだ。顔の雰囲気は異なるが、特徴的な左前足を右前足の上にした置き方や後ろ足の裏の見え方などの座った姿勢、尻尾の形などが似ている。
像に制作者の刻銘はないが、これまで断定はできないが可能性が高いものも含め約50点の由廣作品を調査してきた春口さんは、「直江津のライオン像を制作するために作った複数の試作品の最終型」と推測する。
試作品は複数存在か
ライオン像のある館は1907年(明治40年)に建築された木造塗屋造りの建物で、西洋と日本伝統のデザインを融合させた擬洋風建築としては上越市内で最古。建物は同市中央2にあったが、旧直江津銀行解散後に「直江津の石炭王」こと、海運業の「高橋回漕店」の高橋達太氏が買い取り、1920年(大正9年)頃に現在地に社屋として移築・改装した。入り口付近に立つライオン像は移築の際に鬼門封じのために設置したと伝わる。
由廣がライオン像を制作したのは、修行を終え作品に自分の名を刻銘し始めて数年後の38〜39歳の頃。由廣の生家にある古い写真などから、春口さんは由廣は立像や座像、顔やたてがみの形などが異なる数種類の小型の試作品を作り、依頼主の高橋に見せて本作を制作したのではと考えている。
本当に「三越のライオン像をまねた」のか
由廣と直江津のライオン像のエピソードとして、「東京の三越のライオン像をまねた」と説明されていることが多い。しかし、春口さんは疑問を呈する。「まねたとされるが、三越と直江津のライオン像は顔も形も全く似ていない。そして、由廣が残した数々の作品からは常に人と違うこと、オリジナルを追求する姿があり、“まね”などしないと思う。コピーではないからこそ、ずっと上越の皆さんに愛されているのではないか」と語る。
実際に諏訪神社(柏崎市松波1)の2体のライオン像は長さ2.5mを超える巨体で、阿形(あぎょう)は天に向って雄たけびを上げる迫力満点の姿、柏崎神社(同市西本町1)にある獅子狛犬(写真右中)は顔が江戸風で姿勢は尻上がりの出雲風、通常は親獅子と子獅子で3〜4頭の獅子山が悪田稲荷神社(同桜木町)の獅子山(写真左下)は6頭で羽が生えている。いずれも独創的発想にあふれる作品だ。
由廣のライオン像は14体確認
春口さんの5年にわたる調査で、由廣のライオン像は2024年7月までに上越市2体(うち1体は個人宅のため非公開)、柏崎市10体、県外2体の大小計14体が確認されている。写真のみで所在不明の作品もまだ複数あるという。
自宅の庭に小ぶりのライオン像(写真右中)がある柏崎市荒浜2の品田博道さん(84)は「小学生の頃、祖父が『ひげのおじいさんが作った』と話していた。よくまたがって遊んでいました」と懐かしむ。由廣生家に残る晩年と思われる肖像画は、長いあごひげが特徴的だ。また敷地のライオン像(写真右下)を含め3作品がある同市北園町の柏崎海浜ホテルのオーナーの男性(68)は「別の旅館の依頼で作ったものの、完成後に値切られたので断った由廣から購入を頼まれたと聞いた」と話した。
春口さんは「直江津のライオン像は有名なのに柏崎では作者の由廣はあまり知られていないことから調べ始めた。柏崎にはライオン像をはじめ由廣の作品が多くあり、ぜひ上越市民にも訪れて巡ってほしい」と話している。
出版されたガイド本「彫刻師 小川由廣を探して」(935円)については、わたじん書店(柏崎市東本町2、0257-22-7300 )まで。由廣作品の探索状況は春口さんのFacebook、Xで随時、発信している。問い合わせはnorinocc@coral.ocn.ne.jpへ。
記事参照元:上越タウンジャーナル