1か月前の一時撤去で津波被害逃れる 上越市鵜の浜海岸のシンボル「人魚像」
人魚伝説がある新潟県上越市大潟区の鵜の浜海岸に立つ「人魚像」が、冬の波浪対策で一時的に撤去されていたおかげで、撤去から1か月後の2024年1月1日に発生した能登半島地震の津波被害をまぬがれていた。人魚像は約20年前に建立された鵜の浜海岸のシンボルで、地元の大潟区総合事務所は「津波に飲み込まれた可能性もあった」と胸をなで下ろしている。
鵜の浜海岸の人気スポット
同区には神社の常夜灯を目当てに毎晩佐渡島から通ってくる女と地元の若者との悲恋の物語が「人魚伝説」として伝わり、「日本のアンデルセン」と呼ばれた同市出身の児童文学作家、小川未明の代表作「赤い蝋燭(ろうそく)と人魚」のモデルになったとも言われている。
人魚像は人魚が台座に腰掛けるもので、高さは約2mあり、2003年11月に当時の大潟町が設置した。夏は大勢の海水浴客でにぎわう鵜の浜海水浴場の中心部にあり、人魚像と日本海に沈む夕日が写真スポットとしても人気を集めていた。
海岸浸食で波打ち際せまる
同区総合事務所によると、昨年10月頃から海岸浸食が加速し波打ち際が人魚像に日に日に近付くようになり、地元の鵜の浜温泉の関係者などから心配の声が寄せられた。このため冬の日本海の荒波にさらわれないよう、12月6日に人魚像のほか、同じ土台に設置していた説明碑と案内碑の計3基を一時的に撤去した。
津波は人魚像の場所より陸側まで到達か
能登半島地震の津波被害は、同海岸から直江津方面に約4km先にある大潟漁港では、漁船が転覆したり、漁に使う機械や網が流されたりした。同海岸でも人魚像があった場所より陸側まで、津波で流されてきたと思われる「飯田港」(石川県珠洲市)と書かれた漁具やブイ、長靴、木材、ペットボトルなどが多数漂着しており、津波はかなりの高さまで押し寄せたとみられる。
大潟区総合事務所の小池修次長は「冬の波浪に備えた対策で津波は想定していなかったが、結果的に津波の被害から逃れられた」と話した。
元の場所に戻すか移設するかは関係者で検討
人魚像は同区総合事務所が管理する倉庫で保管しているという。今後については、鵜の浜温泉や観光協会、地元町内会、同区総合事務所や所管する柿崎区総合事務所産業グループなどの関係者で、海岸浸食の状況を見ながら、元の場所に戻すか移設するかを検討することにしている。
記事参照元:上越タウンジャーナル