有力者の屋敷か 上越市の二反割遺跡で平安末期から鎌倉初期の集落跡 10月5日一般公開

新潟県上越市三和区岡木で発掘調査が行われている二反割(にたんわり)遺跡で、計画的に配置された建物の柱の跡や井戸など、平安末期から鎌倉初頭(12世紀)にかけての集落跡が見つかった。調査した県埋蔵文化財調査事業団によると、有力者の屋敷とも考えられる約53畳もの広さの建物跡もあり、貴族社会から武家社会へと変わっていく中世初期の地域の集落の形や変遷が分かるとしている。10月5日には一般公開が行われる。

有力者の屋敷跡とも考えられる遺構の一部

頸城平野東部を流れる飯田川右岸に立地する二反割遺跡は、上越魚沼地域振興快速道路の上越三和道路建設に伴い、2011年度から断続的に発掘調査が行われている。3次調査となる本年度は7月から10月にかけて、上越三和道路本線の両脇部分2か所、面積計840平方mで発掘調査が行われた。

井戸や柱穴などが見つかっている

過去の調査で約850年前の平安時代末期から鎌倉時代初頭の12世紀を中心とする集落遺跡であることがわかっており、本年度調査では30〜40cmの浅い部分に計画的に配置された掘立柱建物3棟、井戸4基、土坑12基、溝9か所などの遺構と、素焼きの土器の皿、珠洲焼の甕(かめ)と壺などの遺物が見つかった。

直径約1m60cmの井戸
計画的に配置された建物の柱穴

中でも大溝(おおみぞ)と呼ばれる幅約5m、深さ約2mの堀に近い堀立柱建物は、南北11.2m、東西7.6m、面積約85平方m(約53畳)の遺跡内最大と判明。これまで倉庫と考えられていたが、私有地の所有者である「名主」といった領主層有力者の屋敷の可能性もあるという。

出土した土器や甕などの遺物

荒川隆史調査課長は「県内では12世紀の遺跡が非常に少ないが、(見つかった)建物は当時としては大きい。貴族社会から武家社会に変わっていく激動の時期の、地域の拠点の一つと考えられる」と話している。

5日の一般公開の受け付け時間は、午前9時30分〜同11時30分(見学午前10時〜正午)と午後1時〜同2時30分(見学午後1時15分〜同3時)。遺構や出土遺物の説明のほか、本年度調査した近隣の舘(たて)遺跡と堂古(どうこ)遺跡の遺物も展示する。問い合わせは同事業団の石川さん090-2428-4487


二反割遺跡の場所

記事参照元:上越タウンジャーナル