高田瞽女の家解体 老朽化進み保存難しく 上越市東本町4

解体が進む旧〝高田瞽女の家〟。過去にツアーのガイドで訪れた小川事務局長が様子を眺める

最後の高田瞽女、杉本キクイさん一家が暮らした上越市東本町4の住宅が解体されることになり、22日、作業が始まった。盲目の女旅芸人、高田瞽女ゆかりのスポットの一つが姿を消す。

奥に細長い町屋造りの建物内部。かつて高田瞽女が暮らしていた

建物は約150年前の建築で、土間が細長く、建物の奥まで通じる典型的な町屋造り。初代の杉本マセさんから住み始め、3代目のキクイさんは養女のシズさん、弟子の難波コトミさんと共に村々を巡る演奏の旅をやめた後も住み続けた。

キクイさんが亡くなり、シズさんとコトミさんが胎内やすらぎの家(胎内市)に入所した後は住宅として改修されながら使われてきた。

「高田瞽女の文化を保存・発信する会」などが市や建築士を交えた調査の結果、老朽化が進み、保存が難しいとの結論となった。同会の小川善司事務局長(75)は「(同市東本町1の)瞽女ミュージアム高田の第2資料館として保存したかった。残念だが、瞽女に関する貴重な資料はミュージアムに運び込んだ」と話した。

23日は小川事務局長と東本町4の前町内会長、杉本正彦さん(82)が現地を訪れた。杉本さんは曽祖父がマセさんのきょうだいで、本家に当たる。キクイさんらから「向かいの兄ちゃん」と呼ばれていたという。

高校生の頃は用事で瞽女の家を訪れており、「目が見えても歩きにくい、でこぼこした土間をスイスイ歩いていた」「どこに何をしまってあるか、3人できちんと覚えていた」と当時を振り返る。キクイさんの葬儀の際は「瞽女三部作」などを著したノンフィクション作家、大山真人さんと一緒に2階で泊まったことも思い出だという。

杉本さんは「瞽女さんを好きな人が(家を)結構見に来ていた」と話した。最後に井戸のポンプなどを運び出した小川事務局長は「標柱などで、最後の高田瞽女の家であったことを伝えられれば」と思いを語った。

記事参照元:上越タイムス電子版