〈じょうえつレポート〉冬季五輪 上越勢は延べ52人出場

1928年から北京大会まで名連ね 清水礼留飛がソチ大会で銅メダル

北京冬季オリンピックが開幕し、連日、熱い戦いが繰り広げられている。雪の多い上越・妙高からは冬季オリンピックに、出身やチーム所属の選手が今回の北京大会まで延べ52人出場している=別表参照。主にスキー(距離やアルペンなど)やバイアスロン、最近ではスノーボードに出場し、メダル獲得や入賞の戦績も残している(報道部・武井毅記者)

草創期に出場 距離王国の礎

 日本が冬季五輪に出場するようになったのは1928(昭3)年の第2回サンモリッツ大会(スイス)から。この大会の距離スキー代表として旧制高田中(現・高田高)出身の同級生、保科(旧姓・矢澤)武雄(1906~1983)と永田実(1906~1993)が出場した。保科は4年後のレークプラシッド大会(米国)にも出場。18キロ競技で17位の成績を収めた。

1928(昭和3)年、サンモリッツでの冬季五輪に初めて参加した日本選手団(日本スキー発祥記念館から)

レークプラシッド大会には2人の後輩となる上石巌(1908~1991)も出場し、50キロ競技で17位に入った。冬季五輪の草創期を飾ったクロスカントリースキーの選手たちは上越から数多く輩出され、「距離王国・新潟」の礎を築いた。

 彼らはのちに、県スキー連盟の会長や全日本スキー連盟の要職に就き、地元国体をはじめ各大会の運営の中枢を担い、後進の指導にも力を注いだ。昭和から平成の前半までは距離スキーやバイアスロンの選手が圧倒的に多かったが、以降はアルペンスキーの代表が増え、最近はスノーボードの選手が台頭している。

連続出場、入賞、メダルも

1998年の長野大会には7人、2006年のトリノ大会(イタリア)には11人の上越関係選手が出場した。距離スキーの横山寿美子(最後はセコム上信越、新井高出身)はトリノ大会まで4大会連続、長野大会では姉の久美子と姉妹で出場し、話題となった。また、距離スキーでワールドカップ日本人男子最高4位の戦績を持つ恩田祐一(最後はアークコミュニケーションズ、妙高高原中出身)は2014年のソチ大会(ロシア)まで3大会連続出場を果たした。

トリノ大会では、妙高市に拠点を置くチームアルビレックス新潟所属の皆川賢太郎がアルペン男子回転で4位と躍進。メダルまで0秒03差に迫り、同競技日本人選手として50年ぶりの入賞を果たした。藤森由香(全日本ウィンタースポーツ専門学校)が新種目のスノーボードクロス女子で7位に入賞した。また、ノルディック複合団体で日本が6位入賞し、北村隆(東京美装スキー部、新井高出身)が出場した。

ソチ大会で清水礼留飛(雪印メグミルクスキー部、新井高出身)がジャンプ団体メンバーに入り、日本の銅メダルに貢献。上越勢初のメダル獲得となった。前回2018年の平昌大会(韓国)では、冨田せな(開志国際高、妙高中出身)がスノーボード女子ハーフパイプで8位に入賞。今回の北京大会(中国)で妹のるき(チームJWSC、同)と姉妹出場を果たしている。

ソチ五輪ジャンプ団体で銅メダルを獲得した清水礼留飛。妙高に帰郷後、所属の原田雅彦監督と共に凱旋パレードに参加した(2014年4月、新井市街地)

北京大会には冨田姉妹の他、スキークロス男子の古野慧(USEN―NEXTグループSC、関根学園高出身)の3選手が代表入り。厳しい争いを経てつかんだ出場権であり、持てる力を存分に発揮してほしい。(所属は当時、敬称略)

記事参照元:タイムスLite

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