文豪漱石の命救った主治医は上越考古学の先覚者 市立歴史博物館で森成麟造展
明治の文豪夏目漱石の主治医を務めた上越市出身の医師、森成麟造(もりなり・りんぞう)の生涯と、医業の傍ら携わった上越地域の考古学研究の軌跡をたどる企画展が、新潟県上越市の高田城址公園内にある市立歴史博物館で開かれている=写真=。
森成麟造は1884年(明治17年)、現在の上越市安塚区真荻平(もおぎたいら)生まれ。医師となった森成が東京の長与胃腸病院に勤務していた1910年(明治43年)、夏目漱石が持病の胃潰瘍で入院する。漱石は転地療養先の伊豆・修善寺で大量吐血して意識不明となるが、駆けつけた主治医の森成らの処置で一命を取りとめる。いわゆる「修善寺の大患」と呼ばれる出来事で、漱石はのちに感謝の意として「朝寒も夜寒も人の情けかな」という句が彫られたシガレットケースを森成に贈っている。
企画展は2部構成。第1部は森成の生涯や上越市高田に「森成胃腸病医院」を開業後も続いた漱石との交流をはじめ、俳句、音楽、写真、芸術家支援など多彩な文化活動の関連資料を展示。漱石から贈られたシガレットケースや掛け軸、著書のほか、森成が初代会長を務めた上越郷土研究会の研究誌で、現在でも刊行されている「頸城文化」などがある。
第2部は森成が収集し、1990年に当時の市立総合博物館に寄贈された遺物などの考古学資料1379点や森成家所蔵品などから約50点を展示した。寄贈された森成コレクションは桐箱104箱に収められ、台紙に糸で遺物一つ一つが結び付けてあり、裏書きには採集日や採集場所、採集者が詳細に記録されている。遺物収集が個人の嗜好(しこう)にとどまっていた時代に、記録を残すことの重要性を森成が理解していた表れだという。
会場には、高田中学時代から遺物収集をしていた茶新田遺跡(上越市滝寺)や宮口古墳群(同市牧区宮口)など森成自らが発掘したり、採集者から譲り受けたりした縄文時代や古墳時代の遺物が並ぶ。中でも1927年(昭和2年)に高田師範学校の生徒が現在の大潟区潟町で発見し森成に寄贈された「クリス形石剣」は、1939年(昭和14年)に現在の国重要文化財に当たる「重要美術品」に認定されており、認定書類とともに展示している。
𫝆井晃学芸員は「森成は収集した遺物の記録を詳細に残しているほか、『上越考古学会』『上越郷土研究会』などを設立し、収集品を研究し広く一般に公開していた」と業績を語った。
企画展は8月28日まで。月曜休館。
▽上越市立歴史博物館 https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/museum/
記事参照元:上越タウンジャーナル