「にいがた経済新聞」で新潟県上越市出身の評論家、三浦展(あつし)氏の新連載「三浦展の社会時評」がスタート【三浦展の社会時評】 第1回「おじさん構文がダサいと話題だが」

最近「おじさん構文」というものが話題である。わざわざ「構文」という理由が不明であるが、LINEなどのSNSの文章に大げさにビックリマーク「!!」がつくとか、(w)(笑)がつくとか、絵文字が3つくらい続けるとか、あるいはそもそも文章が長いとかいった特徴がおじさん風らしい。

会社で上司が部下に送るLINEなどにその傾向があり、それが若い部下から見るとおかしいらしい。わかものはもっと短い単語レベルでLINEのやりとりをするからであろう。

Facebookを使うのは中年で、若者はInstagramだと言われたのはもう数年前で、今の若者はInstagramも使わずtiktokだと言われるが、それももう古いのかもしれない。

だが、所詮LINEの文章のやりとりが古いとかおじさん風だということを気にする必要があるのだろうか。そこまで若者に媚びを売る必要があるのだろうか。正しい日本語が使えず、「ガチ」とか「マジ」とか「ヤベ」といった言葉しか発しない若者の方がおかしいのではないだろうか。

こうした過剰な若者へのすりよりには、パワハラ問題がある。上司に少しでも若い社員がハラスメントだと感じるような言動があると、下手をするとクビになることすらあるからである。

だから上司としては若者に揉み手で下手に出ることになる。その結果おじさん構文だが何だか知らないが、絵文字をたくさん使ってご機嫌を取ろうとするのである。それがまた若者の嘲笑のネタになるというのだから、おかしな話だ。

言葉関係で私が最近気になるのが「だったりとか」という言い方である。たとえば「休日は何をして過ごしますか」と聞かれると「ええ、何だろ。ドラマだったりとか、スポーツだったりとか、買い物だったりとか、かなあ」と答える、あの「たりとか」である。

もう20年近く前に「とか弁」という話し方が話題になった。これは真面目な社会学者(コミュニケーション論、メディア論が専門)がちゃんと研究していたくらいである。「休日は何をして過ごしますか」と聞かれると「テレビとか、ゲームとか、マンガとかですかね」と答える、最後に「とか」を付けるので「とか弁」というのである。

どうして「とか」を付けるのか。

「テレビとゲームとマンガです」と言うと確かにかなり意志を持って主体的にテレビとゲームとマンガを選択している印象がする。そうすると、ああ彼はテレビとゲームとマンガが好きなんだなという印象を与える可能性がある。

だが「テレビとか、ゲームとか、マンガとか」と言うと、たまたまテレビを見たり、ゲームをしたりしただけという、意志の弱い、主体性の弱い印象になる。特にやりたいことはないので、暇つぶしにたまたましているだけだな、本当に好きな趣味ではないのだなと思われるだろう。

さらに「たりとか」になると、ますます意志の存在が曖昧になる。だいたい「たり」と「とか」は同じような意味である。「好きなスポーツは野球とかサッカーとか」と言うのも「好きなスポーツは野球だったりサッカーだったり」と言うのも意味は同じである。

それを重ねて「好きなスポーツは野球だったりとかサッカーだったりとか」と言うのは、無駄な重複である。強調と言えば強調であるが、野球やサッカーは好きだけど、すごく好きというわけではないという印象になる。少なくとも私にはそう聞こえる。最近は「だったりですとか」と丁寧語で言う大学教授や有識者がいるのをテレビで見ることもしばしばだ。「野球やサッカーが好きです」と言えばいいところを「野球だったりですとかサッカーだったりですとかが好きです」と言うのだから随分時間を浪費しているように思われる。

もう1つ気になるの「形」「部分」である。実際に私が眼鏡屋でメガネを買ったときに若い店員に言われたが、「こちらが今回のお買物に付いておりますプレゼントという形になっております」と彼は言ったのだ。「プレゼントでございます」でいいと思うが「プレゼントという形になっております」と言ったほうが丁寧だと思われているのだろう。あるいはプレゼントと言うほどのものではないが、一応プレゼントなので貰って下さいという婉曲な表現なのであろうか。

「部分」は、「今日は〇〇投手の調子が悪いという部分では、バッターにチャンスがありますね」といった使い方で、テレビを見ているとこの「部分」という用法がこの2,3年で急増した。「今日は〇〇投手の調子が悪いのでバッターにチャンスがありますね」でいいと思うが、なぜか「部分」が入る。これも「〇〇投手の調子が悪い」と言うと言い過ぎかもしれないので、すべてではないが悪い部分があるという、これも婉曲な言い方なのであろう。

日本人は婉曲な表現や馬鹿丁寧な表現が好きである。「御味御汁」(おみをつけ)などは「汁」(つけ)に「お」「み」「お」という丁寧語の接頭辞が三つ重なっているくらいである。上司のLINEの文章は長すぎて大げさすぎると若者は馬鹿にしているが、他方で、若者ほど話し言葉では奇妙な婉曲語を使うのである。どっちもどっちと言うべきか。

 

三浦展(あつし)

1958年新潟県上越市出身。82年一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年カルチャースタディーズ研究所設立。消費社会、世代、階層、都市などの研究を踏まえ、時代を予測し、既存の制度を批判し、新しい社会デザインを提案している。著書に『下流社会』『永続孤独社会』『首都圏大予測』『都心集中の真実』『第四の消費』『ファスト風土化する日本』『家族と幸福の戦後史』など多数。

記事参照元:NIIKEI

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