能登半島地震1カ月 「役に立ちたい」 上越から支援に行動

支援物資を持参する人に、どこへ物資が送られるかを地図にして表現した木原君(休館中の上越観光物産センターで)

能登半島地震から1カ月。現地のすさまじい被害にいても立っていられず、行動を起こした人が上越にもいる。2人から思いを聞いた。

◇物資仕分けひたむき 上越市の小学生、木原悠太君

上越市の小学6年。能登半島地震のすさまじさや避難者の生活を新聞やテレビで目の当たりにし「自分も何かしたい」と、市民有志による石川県への支援物資受け付けボランティアに加わった。

「父と一緒に支援物資を観光物産センターに持って行ったとき、自分もやってみたい」と思った。学校が休みの21日、大人たちに交じって寄せられた物資の仕分けや会場の掃除に当たった。

被災地の地名と場所が一致するよう、ほかのボランティアと2人でホワイトボードに能登半島と市町村の境界を描き、珠洲市、輪島市、七尾市と地名を書き込んだ。火災で多くの家が失われたこと、住宅が揺れで倒壊したこと、決して快適でない避難所で過ごす人たちのことなどが胸をよぎった。「自分ならつらくて、それで死んでしまいそう」とつぶやいた。

物資を届けに来た大人たちから「偉いね」と多く声をかけられたという。「僕は能登の、石川の人たちの役に立ちたい」とひたむきに励んだ。

支援物資集めを呼びかけた「能登半島地震の支援・上越有志会」の五十嵐健一代表は「会場での気配りやてきぱきした仕事ぶりに驚いた。大人でもなかなかできることじゃない」と感激しきりだった。

「次回は妻(真佑さん、写真左)と一緒に炊き出しに行きたい」と話す長江さん(上越妙高駅西口の麺屋風花)

◇感謝と無力 思い複雑「麺屋風花」店主、長江洋太さん(40)

上越市の上越妙高駅西口でラーメン店「麺屋風花」を営む。能登半島地震で被災した人たちに何か支援ができないかと18日、長野市の「ブラッシュ・ボランティア」のメンバーらと、8人が死亡し5000棟が被災した石川県能登町へラーメンの炊き出しを行った。

キッチンカーを置いたのは能登町内の広場。100食分を1人で提供した。情報を聞いた人たちが絶え間なく訪れ、長江さんから温かいラーメンを受け取った。女性たちを中心に「ありがとう」「ごちそうさま」の声が寄せられた。

半面、無力さを痛感した。並んでくれた全員分にも足りない量だったこと。列の後方で楽しみに待っていた子どもに行き渡らなかった。被災した人たちに、3食のうち1食しか提供できずに炊き出しを終えたこと。店を営んでいるため、長い期間滞在できない。さまざまな思いを抱え上越へ戻った。

上越に戻り、現地の状況や交通費、持参した方が良いもの、道路の状況を交流サイト(SNS)に投稿した。投稿の締めくくりにはこう書いた。「〝出来る事を無理のない範囲で〟を少しだけ無理して、範囲を広げて、新潟から愛を届けましょう!」次回は妻の真佑さんと2人で出向くつもりだ。

記事参照元:上越タイムス電子版