創部9年目の上越がプリンス北信越2部で奮闘。元Jリーガー監督は苦労すらも楽しむ「しがみつきながら頑張っている」

1年目はリーグ戦で全敗。県大会にも出られず

上越高を率いる藤川監督。水戸や大分などで活躍した元Jリーガーだ。写真:森田将義(サッカーダイジェストWeb)

2016年創部ながら、今年はプリンスリーグ北信越2部に初参戦。4節を終えて、1勝1分2敗と奮闘を続けるのが、新潟県上越市にある私立の上越高校だ。

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チームを率いるのは藤川祐司監督。神奈川大学を卒業後、水戸ホーリーホックや大分トリニータ、松本山雅FC、Y.S.C.C.横浜を渡り歩いた元Jリーガーで、創部からチームの歴史を築いてきたという。

神奈川県出身で小学生の頃から横浜F・マリノスのアカデミー一筋だった藤川監督にとって、新潟は縁も所縁も全くない地域。現役最後にプレーしたYS横浜時代のトレーナーが新潟県出身だったこともあって、上越高校が指導者を募集していると耳にした。

すでに横浜のジュニアユースのコーチ就任が決まっていたが、未知の世界への興味は尽きない。「ユース出身だったので、高校サッカーはずっと憧れていた。すぐにプロの畑に行くよりも、教員免許も持っていたので一度、高校サッカーを見てみたかった。ちょうどチームを立ち上げるタイミングだったのも遣り甲斐があった」。

すぐさま就任を決めたものの、高校サッカーは右も左も分からない世界。自身の高校時代も、後に日本代表となったハーフナー・マイクや秋元陽太などとプレーするなど、エリート街道を歩んできた。「県リーグってあるんだ! というところからのスタート。プリンス、プレミアぐらいしか知らなかった。どこからリーグはスタートするんだと思ったら、県4部からと言われて、そんなリーグやっていたんだと思った。1年ごとしか上がれないと言われて、さらに驚いた」。

就任前は同好会があっただけで、選手は5人からのスタート。藤川監督が就任した2016年にサッカー部が立ち上がったが、1年目は初心者を勧誘し、何とか18人集めて戦う状態で、1年目はリーグ戦で全敗。インターハイと選手権も地区大会で負けて、県大会にも出られなかった。

ただ、就任したばかりの頃は20代後半で、まだまだ身体が動く。「外から見えることがあれば、中に入って肌感覚でないと分からないこともある」と、選手に交じってボールを蹴ることで成長を促していく。

今も就任当初と指導スタイルは変わらない。「元Jリーガーの監督のもとでプレーしたかった。それに、地元で良いプレーをして、全国に出たかった」。入学の決め手についてこう話す主将のMF松澤煌成(3年)は「監督は上手い。トラップの置き所、見ている所、ロングボールの回転などを学んでいる」と続ける。

 

スタイルはどちらかと言えば堅実

今年からプリンス北信越2部に参戦。チームを応援する機運も高まっている。写真:森田将義(サッカーダイジェストWeb)

藤川監督は上越高に就任してから、指導者ライセンスの取得を進め、現在はA級ライセンスを持っている。選手目線で個を伸ばしながらも、全体を見てゲームプランやトレーニングプランを練っているという。

「新参チームはスペクタクルなサッカーをやりたがるけど、うちは真逆。手堅く、一個ずつランキングを上げていく方法」と表現する通り、スタイルはどちらかと言えば堅実。毎年のように実力に合わない“背伸び”したステージを戦いながら着実に勝点を積み上げ、リーグのカテゴリーを上げてきた。

「理想を追いたいから指導者になったけど、ある程度、現実を見ながらチームを作っている。そこが面白さであるし、大変な部分。理想はあるけど、そこばかり言って結果が出ない。勝たせられないというのは、自分の哲学とは違う」

地域に密着したチーム作りを行なってきたのも、自身の考えに基づいている。藤川監督が大分に在籍した2012年は財政危機を乗り越え、プレーオフを経てのJ1昇格を決めた時期。地元の人たちから集まった寄付金、支援金によって、Jリーグから借りていた3億円を返済し、J1ライセンスの交付が決まった。

「大分時代は地域の皆さんに支援して頂いて、J1に上がることができた。元プロだからこそ、サッカーばかりではない、Jリーグでやっていたからこそ、地域との繋がりが大事だと分かっているので、すごく大事にしています」

創部した頃から街の清掃活動を行なうなど、学校がある上越市への地域貢献を行なってきた。アルビレックスがある下越地域、“バスケの街”として知られる長岡市のある中越地域とは違い、上越地域には強いスポーツがこれまでなかった。

上のステージを目ざす上越高を応援する機運は高く、今では地元のおじいちゃん、おばあちゃんが試合の応援に訪れる。サッカー部の試合日程が書かれたポスターを店頭に張るお店も少なくない。

この春にはグラウンド脇に新しいサッカー部の寮が完成したが、100人を超える選手が食べる1年分ものお米も、地元の人たちの寄付によって賄う。「街が一体となって、子どもたちを育ててもらいたい。我々も与えてもらうだけでなく、サッカーを中心に何かを与えていければと思って、様々な活動に取り組んでいる」という。

「力のある選手が増えてきて、少しずつサッカーになってきた。まだ創部して8年。漫画みたいには上手くいかないので、しがみつきながら頑張っている。だいぶ苦しいことも経験してきました」。藤川監督はそう苦笑いするが、苦労すらも楽しんでいるように見える。今の成長速度を続けていけば、上越高の名を全国で目にする日もそう遠くないはずだ。

取材・文●森田将義

記事参照元:Yahooニュース