明治、大正、昭和に海水浴客でにぎわった旧「つたや旅館」解体へ 直江津の往時伝える建物

明治、大正、昭和に直江津を訪れる海水浴客でにぎわい、当時は絵はがきにもなった新潟県上越市中央3の旧「つたや旅館」の建物が、2023年3月27日から取り壊される。旅館は約20年前に廃業したが、直江津海岸沿いに立つ大型旅館の建物は、かつての港町のにぎわいを伝えていた。

解体される上越市中央3の旧「つたや旅館」
旧「つたや旅館」の船見公園(海)側

絵はがきにもなった人気旅館

つたや旅館のはっきりとした創業年は不明だが、当時の新聞広告などを見ると明治期には創業していた。当時は旅館のすぐそばまで砂浜が広がっており、1918年(大正7年)から1933年(昭和8年)にかけて撮影された写真を使った絵はがきには海を眺める大勢の宿泊客の姿が写真に収められており、人気旅館だった往時の姿を伝えている。一方、1942年(昭和17年)には、修学旅行で宿泊していた長野県の小学生が旅館近くの突堤に海を見に行き、大波にさらわれ5人が命を落とすという悲劇もあった。

昭和初期のつたや旅館(北越出版・佐藤和夫さん提供)
正面玄関側。2本の門柱は現在もある(同)

空き家になり老朽化進む

旅館は最後の女将だった伊藤己登勢子(みとせこ)さんと妹の千冬子(ちとこ)さんが高齢となったため2005年に廃業し、その後空き家となっていた。2021年までに姉妹が相次いで亡くなり、建物の老朽化も進んだことから解体されることになった。

現在でも入り口には絵はがきにも写る「眺洋館」「通多屋(つたや)」と彫られた古い門柱があり、屋根の頂点部分には装飾を施したのし瓦がふかれていて、老舗旅館の面影も残る。

解体前に旧「つたや旅館」を眺める柳澤さん(手前)と妹の川島さん

「つたや」を覚えていてほしい

生前の伊藤さん姉妹の世話や空き家となった建物の管理をしてきた父方のいとこの柳澤喜美代さん(76)は、「子どもの頃はしょっちゅう遊びに来て、旅館の座敷から夕日が海に沈むのを眺めたり、裸足のまま焼けた砂浜を歩いて海に入ったりしていた」と懐かしむ。長野や群馬からの海水浴や釣りの宿泊客、地元の冠婚葬祭や宴会などで大変なにぎわいだったという。大広間で結婚披露宴をしたという柳澤さんの妹の川島喜美江さん(73)も「子どもの頃に遊びに来ると、おいしいいろんな料理を食べさせてもらった記憶がある」と振り返った。

解体作業には約1か月かかる予定。柳澤さんは「建物はなくなるのは残念だが、直江津の地に『つたや』があったことを覚えていてほしい」と話している。

旧「つたや旅館」の場所

記事参照元:上越タウンジャーナル

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