大きな建物跡など発見 上越市三和区「二反割遺跡」
平安時代から鎌倉時代にかけての集落跡が見つかっている上越市三和区の「二反割遺跡」で、新たに53畳ほどの大きな建物の跡が見つかりました。集落をまとめる人物が住んでいたと見られています。近くにある飯田川沿いでは「二反割遺跡」の前や後の時代につながる集落跡が複数見つかっていて、調査をしている団体では集落の移り変わりを探るヒントになるとして今後、分析を続けることにしています。二反割遺跡はおよそ850年前の12世紀、平安時代末期から鎌倉時代初期の集落跡です。国道253号、上越三和道路の建設工事に合わせ、上越市三和区岡木の飯田川の近くで見つかりました。調査は公益財団法人新潟県埋蔵文化財調査事業団が840平方メートルにわたり、2011年度と2015年度の2回行いました。これまで住居や倉庫とみられる建物や井戸の跡、土器の皿、壺などが見つかり、集落があったことが分かっています。今年度は3回目の調査が7月から3か月間行われ、新たな建物や井戸の跡が見つかりました。建物の大きさは南北11.2メートル、東西7.6メートルで、およそ53畳あり、この集落では最も大きいものです。調査した新潟県埋蔵文化財調査事業団の石川智紀課長代理は「遺跡最大の建物。当初は倉庫だと思っていたがこれだけの大きさということは、ここが集落の中心であったとみている」と話します。現地での調査は今回で終わり、集落全体には建物が25か所、井戸が15か所あることなどが分かりました。建物は離れていても柱の筋をそろえるように建っていることから計画的に作られたと考えられています。 またこの集落で見つかった建物は大きく分けて3つの年代に分かれて作られていることが分かりました。
新潟県埋蔵文化財調査事業団の荒川隆史 調査課長は「100年に渡ってこの集落が続いてきたことが分かったことは最大の評価だ」と話していました。飯田川の周辺では「二反割遺跡」よりも前の11世紀や、後の13世紀にあった集落跡が複数見つかっています。調査団では集落の移り変わりを探るヒントになるとして分析を続けることにしています。
荒川隆史 調査課長
「越後においてこの集落がどんな位置づけの場所であったのか調べていく必要がある」
二反割遺跡は今月5日一般公開されます。詳しくは県の調査団(0250-25-3981)にお問い合わせください。
記事参照元:上越妙高タウン情報