上越市の高木和弥さん“南極料理人”に 南極観測隊隊員として11月24日出発

新潟県上越市東雲町2のレストラン「トゥジュール」のオーナーシェフ高木和弥さん(50)が、第65次南極地域観測隊越冬隊の調理担当として、2023年11月24日から南極に派遣される。2025年2月まで昭和基地で隊員27人の食事作りを担当し、南極観測を食で支える。小学生の時に映画「南極物語」(1983年公開)を見て憧れ、「いつか南極に行きたい」という夢をかなえた。

高木さん

夫婦2人でレストラン経営

千葉県出身の高木さんは父親は板前、母親は学校給食の調理員という環境で育ち、自然に料理人の道に。首都圏の有名ホテルやレストラン、結婚式場のほか、パティシエで妻の朋子さん(41)の出身地上越市のレストランでも腕を磨き、2019年に独立。フレンチを主としながらも、ジャンルにとらわれない地元食材を生かしたトゥジュールをオープンさせた。

南極への思い変わらず応募

南極行きのきっかけとなった南極物語は、感動のあまり映画館で3回鑑賞し、大人になっても5年に1回は見ていた。南極への憧れは変わらないものの、研究者ではないため「一生行けることはないだろうな」と半ばあきらめていたところ、2009年に南極観測隊の日常を描くコメディー映画「南極料理人」が公開され、越冬隊の調理隊員は公募していることを知ったという。

南極観測隊には医師もいるが、当然ながら日本と同じ医療体制ではないため、隊員には健康が求められる。高木さんは当時、体調面に不安があったため、一念発起して自分の体に向き合い、通院も重ね、数年かけて健康を取り戻した。

楽しすぎた面接で見事合格

家族や親しい人には長年南極への思いを語っていたという。「(周りは)またアホなこと言ってるなと。自分も受かるとは思っていなかったが、受けなかったらずっと後悔すると思って」と語る。昨年10月に応募、書類審査を通過して、12月に面接を受けた。面接官は10人。実際に南極に行ったことがある人に会うのは初めてで、志望動機のほか大量調理や食材発注、管理の経験などを聞かれるうちに緊張どころか興奮してしまい、「逆にこっちが南極のことをいろいろ聞きたい。面接が終わったら飲みに行きませんかと誘いたいくらい、楽しすぎました」と振り返る。

合格後は今年1月から隊員候補者として、さまざまな訓練や身体検査などを行い、7月からは国立極地研究所(東京都立川市)の職員となって、食材調達や梱包、南極観測船「しらせ」への搭載などの準備を行ってきた。

「食事で隊員を癒やしたい」

越冬隊の調理担当は高木さんを含めて2人。メニューは自由に決められるが、朝は4時起きで、隊員27人分の朝昼夕の3食のほか、野外観測調査に出かける隊員や夜勤者への弁当作りなど、調理業務は多岐にわたるという。高木さんは和洋中何でも作る予定だ。

高木さんが勤務する南極・昭和基地(提供:国立極地研究所 撮影:JARE64白野亜実)

日本から直線距離で約1万4000km離れた南極昭和基地は、真冬の8月には氷点下20度を下回るほか、何日も続くブリザードが発生するなど厳しい環境。その中で観測業務に当たる隊員たちを和ませるのは、日々の食事だ。

高木さんは「食事にかかるプレッシャーは半端ないですね。隊員が外から帰ってきたら、癒やしになるようなメニューや、サプライズ的イベントを考えて、楽しめる時は楽しめるようにしたい」と意気込む。魚類は出身地の千葉県房総半島で水揚げされたものを調達した。コメは収穫期と輸送準備の関係で上越産米は準備できなかったが、新潟の郷土料理「のっぺ」を振る舞うことにしている。

昭和基地の厨房と現在の越冬隊員が調理した料理(提供:国立極地研究所 撮影:JARE64白野亜実)

レストランは一時休業

レストランは一時休業し、留守を預かる朋子さんが週2日程度、ケーキを販売している。朋子さんは「いつも通りにやって、無事に帰ってきてほしい」とエールを送っていた。

ケーキ販売をしながら留守を預かるパティシエで妻の朋子さん(右)

帰国は2025年2月下旬〜3月上旬予定

高木さんは空路で一旦オーストラリアに向かい、11月下旬にフリーマントル港でしらせに乗船。昭和基地には年末に到着予定だ。帰国は2025年2月下旬から3月上旬の予定となっている。

南極昭和基地ライブカメラ


www.nipr.ac.jp

▽レストラントゥジュール インスタグラム

記事参照元:上越タウンジャーナル

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