[ルポ人口減少]<プロローグ>新潟上越市とは?高田城中心にまちが発展、百貨店は既に撤退 半世紀で人口36%減

新潟県上越市の中心市街地とされる高田地区。春の観桜会で有名な高田城址(じょうし)公園を囲むように、雁木通りと町家が並ぶ城下町として発展した。

高田城址公園の夜桜ライトアップ。毎年多くの人が訪れる=2022年4月12日

1614(慶長19)年に高田城が築城され、徳川家康の六男松平忠輝が初代城主を務めた。城を中心にまちが形成され、明治維新による廃藩置県が行われる1871(明治4)年まで、約260年にわたり越後一国(佐渡を除く新潟県)の中で最大勢力を誇る藩だった。

1889(明治22)年に高田町が誕生し、1911(明治44)年には高田市へ移行。71(昭和46)年には直江津市と合併して上越市が誕生した。

城の周囲では、明治期に陸軍第13師団の官舎が置かれたほか、教育機関も集中。現在の地域自治区の高田区には市内11の高校のうち6校が立地している。

高度経済成長を経て70年代半ばまでに、いづも屋百貨店、長崎屋高田店、大和上越店が相次いでオープンし、中心市街地としてにぎわった。しかし、現在はいずれの百貨店も撤退。商店街にはシャッターが閉まったままの店舗も目立つ。

かつて高田地区にあったデパートの大和上越店=2010年4月、上越市

◆深刻な人口減、空き家数は市内最多

高田城築城を機に急速に発展した高田地区だが、現在は市内の中山間地と同様、深刻な人口減少に直面している。

人口の推移を地域自治区の「高田区」で見た場合、1970(昭和45)年当時、高田の人口は約4万3千人に上った。それ以降は減少を続け、2020年は約2万7千人。高田市が誕生した1911(明治44)年ごろと同水準まで落ち込んでいる=グラフ参照=。

 

市創造行政研究所の調査では、1970年から2020年の半世紀で、高田区の人口増減率はマイナス36%。減少率は中山間地を抱える柿崎区や板倉区などと同程度となっている=図参照=。

 

人口減を背景に高田地区では空き家が目立つ。市が各町内会から寄せられた情報を基にまとめた空き家数(2022年6月末現在)は市内28区の中で高田区が最多の450件。2番目に多い吉川区の289件を大幅に上回っている。

一方、春日や和田など高田に隣接する区は人口が増加。高田から郊外へ人口が流出する「ドーナツ化現象」が進んでいる。

連載1回目「ふるさと」
連載2回目「商店」
連載3回目「町内会」
連載4回目「町家」
連載5回目「若者たちへ」

記事参照元:新潟日報デジタルプラス

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