甲子園で決勝進出 慶応高と上越107年前の縁 直江津小の校歌作曲者、ジェームス・ダン 弟のジョン一塁手で出場

ジェームス・ダン(左から2人目)とジョン(同3人目)。左端は父のエドウィン、右端は四男のアンガス(エドウィン・ダン記念館提供、1916年ごろ撮影)

 

第105回全国高校野球選手権大会の決勝が23日午後2時から行われる。決勝のカードは宮城県代表の仙台育英高対神奈川県代表の慶應義塾高。慶應義塾高が優勝した場合107年ぶりとなるが、107年前の優勝時に、上越市立直江津小のベヒシュタインピアノを選定し、校歌を作曲したジェームス・ダンの弟、ジョン・ダンが選手として活躍していた。ジョン自身も直江津小に通っていた可能性が高く、上越との縁が明らかになった。

107年前に開かれた第2回全国中等学校優勝野球大会は大正5(1916)年8月に大阪府豊中村(現豊中市)の豊中球場で開かれ、全国各地方の代表12校が出場。関東・東京代表の慶應義塾普通部が決勝で大阪代表の市岡中を破って優勝した。ジョン・ダンは一塁手を務め、決勝戦では2番を打っている。

父は北海道の畜産業発展に貢献したお雇い外国人エドウィン・ダンで、後にインターナショナル石油会社直江津支店支配人を務め、明治34(1901)年から同40(1907)年まで一家で直江津に住んでいた。

エドウィンの息子は4人兄弟で、ジェームスは次男、ジョンは三男。ジェームスは卒業まで直江津小に通い、音楽家として大成した後も直江津小とは縁が深かった。昭和3(1928)年、同校にピアノが寄贈される際にベヒシュタインピアノを選定。同6年に校歌を作曲した。現在も小学校ゆかりの偉人として愛されている。ジョンはジェームスと2歳差のため、ジョンも直江津小に通っていた可能性が高い。

札幌市にあるエドウィン・ダン記念館では107年前のジョンの活躍を報じる当時の新聞記事が展示されている。大会史上初の外国籍選手だったジョンは人気があり、「異人さん」と応援の言葉が飛んだという。同館スタッフの園家廣子さんは「慶応高の前の監督が記念館に訪れるなど、現在も縁が続いている。ぜひ頑張ってほしい」と話した。

直江津小の林克巳校長は「出勤した職員たちと応援したい。児童にも夏休みの思い出として紹介したい」と語った。

直江津小で現在も使われているベヒシュタインピアノ。ジェームス・ダンが「最高のピアノ」として選定した

記事参照元:タイムスLite

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

fifteen + twenty =